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私が愛した夫

about 夫

今まで色々と書いてきましたが、そもそも付き合ったのも結婚を決めたのも、
もちろん夫を愛していたからです。

夫の言動に違和感を覚えたり、何か違うと感じることはあっても、それ以上に夫が大事という気持ちが大きかったんだと思います。


こんな私に愛を語る資格など無いと思いますし、そもそも愛ってなんなんだよと思って今ネット検索してみたら
①対象をかけがえのないものと認め、それに引き付けられる心の動き
②相手をいつくしむ心。相手のために良かれと願う心
③何事にも増して、大切にしたいと思う気持ち
ざっくりですが、こう書いてありました。

愛を説明する言葉なんて俗っぽいですが、今ネットから引用した愛の説明がそれなら、
私は夫を愛していたのだと言えます。


私が愛した夫は、
不器用で人見知りで、ちょっとダサくて、見た目の割りにイケてない。
男臭くて、流行に疎くて、友達も多くない。
細かい事も気にしないし、怒る事もない。
こうして書いてみると全然褒めてないんですけど、本当にそういう所が好きだったし、尊敬もしていました。
鼻毛だって、油臭いのだって、変なところに生えてる毛だってなんだって好きと思っていました。


今の夫には、そのどの要素もありません。
というか、きっと夫がなりたい自分は、その反対の像だったんだと思います。
器用な男に思われたくて、一生懸命に流行を追いかけて、髪型もツーブロックにして、
何故か神経質な潔癖症の男に憧れて、いつからか神経質の潔癖キャラに変更しました。
(↑某毒舌キャラのタレントってみんな潔癖だったりしますよね。やっぱりそういう人に憧れていたのかも。)
サザンとイエモンしか歌わなかった人が、流行りの歌を一生懸命覚えて、
「除菌」と「俺って潔癖だから」が口癖の人になりました。
怒る事の無かった人が、いつしか些細な事にイライラする様になり、夫は私が夫に尽くすのが当たり前だと思っていると感じました。

私が思う愛とは“無償”であることかなと思っています。
以前は無償で何かしてあげたい、と思っていました。
でも、今は思えません。
きっと、夫も同じ気持ちだと思います。

私の無償の愛は“当たり前”の上に成り立つ程、優れた愛ではありません。

靴下を履かせてあげる事も(たまにではあったけど)、毎日1時間のマッサージも、色々な事がもう無償ではしてあげられなくなりました。

夫がなりたい自分。
私が愛した夫。

それは正反対で、ここでもやはり価値観の違いに繋がってくると思います。
私も夫も同じ方向を向く事が、どの場面でも無くなってしまった様に思います。


私も、母親になって変わった部分がもちろんありますが、
間違いなく、夫も変わりました。
私は夫のありのままを愛していたのに。

夫が今、どうしたいのか、どうなりたいのか、どこを目指しているのか、何を考えてるのか、私にはわかりませんし、わかりたいとも思いません。

ただ一つ言えるのは、私だけじゃなく、夫も、お互い無償ではなくなったということです。
何年か前から「相手がこうだから、こっちはこうする」という風にしか行動出来なくなっていました。
お互い探りを入れて、様子を伺って、相手の行動を見て、自分の行動を決める。
お互いが、お互いを試している。そんな感じです。
そんなのって愛ではないですよね。

疲れました。

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