この前読んでいた小説の中で
「何かを一生懸命考えることはいいことだけど、絶対にこうだと思い込むのは良くない。
思い込むくらいなら、考えない方がいい」
という一文がありました。
その通り。
何だかこの一文が私の中に残りました。
確かに思い込むってすっごくネガティブだし無駄な労力!
思い込むくらいなら、何も考えない方がいい。
うん、確かに。
私も夫の言動に対して「きっとこの人の事だからこういうつもりなんだ!」と思い込み、決め付けていたことがあると思います。
夫はそういうつもりではなくても、私がそう思い込んでネガティブに捉えてしまっていたのかも。
でも、人間の怖い所は、“その答えが誰にもわからない”ということ。
もしかしたら、夫はそういうつもりだったのかも?
でも、これは夫にも言える事で、夫も私の言動に対してネガティブに捉えている様でしたが、じゃあ私はそのつもりがなかったのか?
もちろん全てがそうではありませんが、中には本当にそのつもりはなくても、潜在意識の中に「遠まわしに言ってやる!」という気持ちがあって、夫にそう受け取られても仕方ない言い方をしてしまっていたのかもしれません。
だから「そんなつもりは無い」とは言っても、奥底ではそのつもりがあったかもしれない。
つまり何が言いたいかと言うと、この煩わしい思い込みの原因は信頼関係にあると気付きました。
例えば、ですが、普段からすっごく信頼している人が誰かについてネガティブな発言をしたとしても「この人がこう言うのは悪口じゃなく、違う意図があるんだ」って解釈しますよね。
その人はそんなこと言う人じゃないって信頼してるから。
だから、私が夫の言動に対して悪い方に捉えてしまうのは夫の事を信じてないから。
夫の嫌な言動を目にする度に「これは家族のためだ。きっと何か理由があるんだ」と信じる事ができませんでした。
それは夫も同じで、私は夫の信用が無いと感じてました。
本当に違うことでも「いや、絶対そうだ!」といつも決め付けられました。
いくら「本当に違う!!」と訴えても「俺はわかるんだ。嘘ついてるだろ」と何の根拠があるのか全く信じてもらえませんでした。
信じれないのもストレスだし、信じてもらえないのもまた、ストレスでした。
だから夫の事を多く書いていますが、夫の事を全然信用していない私にも大いに非はあります。
私達夫婦はお互いに信頼が無いことで、お互いがお互いにストレスを感じているって感じです。
だから、お互い悪い方に思い込む。
信じてないから、思い込む。
誰かが言う事に、何の意図があるかなんて、誰にもわからない。
当人でもわからないことがある。
だから“どんなつもりだったか”ということは大して重要ではなくて、その人を信じているかどうか、なんだと思いました。
これは夫婦だけでなくどんな人間関係にも言える事ですね。
だから、勘ぐってしまう相手がいるとすれば、その人の事を心のどこかで信用できていないのかも?
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